不規則な生活がリズムを乱し自律神経を不安定にさせる(体内時計と自律神経)

体内時計を狂わせてしまう原因

現代人は昼夜の区別のない生活を強いられていますが、加えて、非常にアンバランスな豊かさで平和な時代ともいえるでしょう。大学生の大半は、学費はもちろん、生活費も親に仕送りをしてもらっています。
アルバイトをするのは、自分が欲しいものを買うため。生活のためというわけではないので、嫌だったら辞めて、また次を探せばいいという感覚です。

学校を卒業し、働き出すようになっても、親や家族を養わなければならないという話はあまり聞きません。就職状況は一時期より厳しくなったとはいっても、仕事が何もないということではなく、アルバイト感覚の求人であれば山ほどあります。多少貧乏暮らしになろうと、生活できないということはないのです。

こうした社会の中では、時間に拘束されることもありません。寝るのも食事をするのも、テレビを観るのも、働く時間さえ自分の好きなように決められます。
事前に約束したこと以外は、まるで時間的拘束のない生活を送れるわけです。前の晩、朝方までビデオやDVDを観ていて、翌朝起きるのがつらければ、そのまま朝まで眠っていてもいいし、朝起きるのがつらければ、夜のアルバイトを探せばいいということになります。

眠くなったら寝て、お腹が空いたらご飯を食べる。一見、快適な生活に見えなくもありません。何時に起きてもいいのなら、苦労して朝起きる必要なんてないという気もしてきます。

ところが、そうやって思いのままに生活していると、体内時計が狂ってしまうのです。そしてそれが高じると、体にも変調をきたすようになります。眠っても眠ってもすっきり目覚めず、1日中頭がぼーっとしたり、体がだるかったりと、決して健康的な毎日を送れなくなります。そうなると、もう気ままに喜んでいるわけにもいかなくなるのです。快適な生活とは、とてもいえない状態です。

体内時計は25時間のリズムで動く

体内時計は、大脳の松果体というところにセットされており、生理的にはだいたい25時間のリズムで動いています。ですから、朝なのか夜なのか区別のつかない、静かで真っ暗な部屋で体内時計そのままに生活していると、1日1時間ずつ時間が後ろへずれていきます。
すると、12二日後には12時間ずれますから、昼と夜が逆転してしまうことになります。しかし、それでは困るので、わたしたちは、社会的な要請から、25時間のリズムを24時間に直しているのです。朝7時なら7時という決まった時間に目覚まし時計をセットし、強制的に叩き起こして、体内時計のずれを調整しているわけです。

このようにして、わたしたちは、夜決まった時間にべッドに入り、朝もだいたい決まった時間に目を覚まし、1日の活動に入るという睡眠スケジュールで活動してきました。夜と昼が交互に訪れるというリズムにのっとって、ある均衡を保っていたのです。

体は夜が来て昼が来て1日、また夜が来て昼が来て2日たったという認識をしますが、その夜と昼の違いというのは、光で感知しています。

明るいところにいるあいだは、ここが昼だなと思い、そのあと暗くなれば夜だなと思うといったように、暗いところと明るいところが交互にあることで、初めて1日が終わったと認識するのです。

さらに、女性の体の場合は、その昼と夜のセットである1日が28回来ると、次の生理だと認識します。1日のリズムがセットになって、また違う体のリズムも作られているわけです。ところが、時間が自由だからといって、朝までテレビを観て昼間寝ていたかと思えば、早朝からアルバイトに行ったりという、昼夜を無視した不規則な生活を続けていると、体内時計のリズムがめちゃくちゃになってきます。

おまけに、そのような生活では、当然、睡眠時間も4時間だったり、12時間だったりとまちまちで、リズムも何もあったものではありません。昼間でも、カーテンを引いてぐつすり眠れば疲れはとれるから、いつ眠ってもち睡眠時間の帳尻さえ合えばいいではないかという人もいるでしょう。

けれども、人間の体というのは、あるリズムやメカニズムが保たれていることが大切なのです。その証拠に、朝起きる時間も不規則、夜寝る時間も不規則といった生活をしている人の中には、トータルとしては十分な睡眠時間をとっていても、頭も体もすつきりしないという経験を持っている人も少なくないはずです。
時間は十分でも、きちんと健康的な睡眠をとっていないので、朝も疲れがとりきれず、すっきりと起きられないということになるのです。

体内時計の破壊で起こる病気

不規則な学生生活を終えて、社会人ともなれば、朝は決まった時間に起きなければいけません。初めはつらいかもしれませんが、しばらくがんばれば、徐々に体のリズムが戻り、ほとんどの人は何とか朝起きられるようになります。

ところが、こうして昼と夜の混乱状態が繰り返されているうちに、時差ボケの症状が慢性的になり、本当に朝起きられなくなってしまう人もいるのです。この状態を、アメリカの精神医学会では「睡眠覚醒スケジュール障害」と名づけ、精神障害の1つとして診断の手引き書に登場させているほどです。

体内時計が徐々に狂ってくると、規則的に眠りが襲ってこなくなります。夜になっても眠れず、朝になっても起きられないという生活パターンはもちろんのこと、ついには朝になっても眠れず、眠ったと思えば20時間も続けて眠ってしまったといったように、本来人間が持っていた睡眠と覚醒のリズムが完全に壊れてしまうのです。

人間の体に不要なものは1つもないといわれるとおり、体内時計も必要があってセットされているわけですから、それを一度壊すと、元に戻すのは実にたいへんなのです。

時差ボケの不快さは、経験者の方ならよくおわかりだと思います。頭はぼーっとして、自分の体なのに自分の思うように動かない調子の悪さ。体は疲れているはずなのに、ベッドに入っても目がさえて眠れない。大事な仕事中なのに突然、強烈な眠気に襲われ、ふり払うのに苦労することもあります。

「睡眠覚醒スケジュール障害」とは、毎日、この時差ボケの状態ですから、ひどい場合はまともに仕事もできなくなるほどで、想像以上に深刻な病気といえるでしょう。もちろんその原因は、不規則な生活だけとはいえません。ある日突然、気がついたら翌々日の朝まで眠っていたという人もいます。しかし、

その大半は不規則な生活を続けた結果、徐々に体内時計が壊されて起こるケースが多いのです。現在、この「睡眠覚醒スケジュール障害」でつらい生活をしている人は増加傾向にあります。だれもが当たり前に与えられると思っていた心地よい睡眠に、障害が出始めているのは事実でしょう。

体内時計が狂うと自律神経も狂ってしまう

体内時計が狂ってくると、肉体的にもさまざまな影響が出てきます。人間の体というのは、昼と夜が交互に訪れるというリズムで均衡を保っています。この体のリズムが狂ってくると、夜と昼のスイッチの切り換えが悪くなってくるのです。わたしたちの体は、昼間活動するときは交感神経が優位に働き、各器官が活発に働くようになっています。

その反対に、夜は副交感神経が働き、昼間活発に働いていた各器官が休養をとります。・簡単にいうと、交感神経はエネルギーが消費される方向に、副交感神経はエネルギーを温存する方向に働くと考えてください。しかも、この2つの神経は、体の状況に合わせて調節されるようになっているのです。

体内時計は、この2つの神経のスイッチを「オン」にしたり「オフ」にしたりするという重要な役割を担っています。

夕方になると副交感神経が優位になるように切り換わり、朝になると交感神経が優位になるように切り換わるのです。別の言い方をするなら、夜、スイッチが副交感神経に切り換わるから眠くなり、朝になって再び交感神経に切り換わるから、目覚めて活動ができる体になるともいえます。

ですが、体内時計に狂いが生じると、その切り換えがうまくいかなくなります。昼夜が入りまじったかのような生活にすっかり混乱してしまい、いつ交感神経をオンにすればいいのか、いつ副交感神経に切り換えればいいのか、わからなくなってしまうのです。

この切り換えがうまくいかないと、夜は眠くならないし、朝は起きられないということになります。起きられないのを無理やり起こしても、スイッチがなかなか切り換わりませんから、意識が謄胞として、寝ているのか起きているのかわからないような状態になるわけです。

こういう場合、ほとんどの人が「自分は低血圧で朝が苦手だ」といいます。たしかに症状は低血圧なのですが、原因が体内時計の破壊にあることには気づかないのです。

そのうえ、体内時計のリズムが狂うと、朝起きられないばかりか、体内の臓器の働きや各分泌系の活動、筋肉の動きなどもめちゃくちゃになり、不健康な状態になります。
その最たるものが「自律神経失調症」です。この病気は、食欲不振や生理不順どを引き起こします。やがて、副腎皮質ホルモンの分泌など、体のバランスを保つのに重要な内分泌系にも異常をきたし、思わぬ障害につながっていく可能性もあります。このように、体内時計は重要な役目をになっています。かつては「朝起きられない怠け病」と思われていた「睡眠覚醒スケジュール障害」が、最近注目され出したのも、眠りのリズムが狂うだけではなく、肉体的にも影響が大きいからといえるでしょう。

自律神経のバランスが崩れてしまう原因はほかにもこちらにあります

朝に弱い人生は損している

苦手な朝を克服しよう!という決意は自分次第

こうしてみると、朝起きることがそんなに大げさな話なんだろうかと、疑問に思われる方もいるかもしれません。しかし、自分でも気づかないうちに、「させられる人生」や「してあげる人生」を送っている人は多いのです。

これらの人たちは、自分が本当は何がやりたいのか、どのようにして生きていきたいかということを、真剣には考えたことがないといえるかもしれません。

現在の日本では、義務教育は中学校までとなっていますが、ほとんどの人が高校へ進学し、大学まで行く人もまったく珍しくなくなりました。
また、特殊な技術を身につけていなければ、職がないということもありません。飢えることも、生命を脅かされるようなこともない平和な時代ですから、ただぼんやりと日々を過ごすうちに大人になってしまったという人も少なくないでしょう。何となく就職して、適齢期がきたから結婚をする。

自分というものを見つめなくても、一生を送ることは可能です。しかし、一度考えてみてください。朝起きられなくて損をするのは自分なのです。遅刻が続いて上司の借用を失ったとしても、上司には関係がありません。今の会社で働くことを決めたのも、この先だれかと結婚しようとと思ったとしても、こういう人生を送ろうと考えても、決めるのはすべて自分です。

世間の常識や親の意見ではありません。決めるのは自分であると気がつきさえすれば、朝は自然に起きられるようになるはずです。
あるいは、今日は無理に起きる必要はないと判断することもできます。朝起きることも眠ることも、大きくまわっている人生の中のできごとの1つです。決めるのは自分自身であることを忘れないでください。

人生に目覚めれば、朝も目覚める

朝起きることも、24時間という1日の流れの中の1つのできごとです。ですから、これだけを断片的に取り上げても、どうにかなるものではありません。
また、体のバランスの問題だけでもありません。朝起きることと人生のあいだには、次のような探いつながりがあるのです。

  • 夜きちんと眠れば、朝気持ちよく目覚める
  • 朝気持ちよく目覚めれば、朝食がおいしい
  • 朝食をとると、トイレに行きたくなる
  • 排便ですっきりすれば、体調がよくなる
  • 体調がよければ、気分もよくなる
  • 気分がよければ、イキイキしてくる
  • イキイキしていれば、魅力的になる
  • 力的になれば、付き合いも視野も広がる
  • 刺激を受ければ、前向きになる
  • 前向きになると、興味や好奇心が深まる
  • 好寄心が深まると、凍ているのが惜しくなる
  • 起きると楽しいことが待っているので、朝起きようというパワーが出る
  • 起きているときはフルパワーで稼働するので、生活にめりはりが生まれる
  • アクティブに行動するので、夜も熟睡できる

「朝が苦手」「朝がつらい」「朝は嫌い」について自己分析してみる

なぜ、朝が苦手なのだろうか?

現代は、長い人類の歴史の中で、ここまで「眠り」に関して苦労するのは、初めてのことかもしれません。皮肉にも、こちらでも紹介したように、昼夜の別のない社会、めまぐるしいスピードで過ぎる時間の中で、便利に快適になっていく社会環境とは反比例して、人間の体が悲鳴をあげつつあることの証でもあるのでしょう。

「心地よい目覚め」とは、独立して成り立つものではありません。快適に目覚めるためにはきちんと眠ることが必要であり、きちんと眠るためには心も体もリラックスしていなければならない。
このように、すべての要素がつながっています。眠りのリズムにしても、人間の体の中にあるサーカディアンリズムというリズムの中の一部に過ぎません。

排泄、ホルモン、血圧、体温などと同様に、睡眠と覚醒も体のバランスのリズムの1つです。したがって、体は健康だけれども寝起きが悪くて…という人はいません。

1つが変調をきたせば、低血圧や便秘、頭が重いなど、ほかの器官にも影響が出てきます。現代では、「朝に弱い」といっても、単なる寝不足や低血圧というだけではなく、ストレスからくるうつ症状による不眠、肥満による睡眠障害、勤務時間が不規則なための眠りのリズムの変調など、原因のわかりにくいものも数多くあります。

ですから、「朝に弱い」ということだけを取り上げても、何の解決にもなりません。1日の流れの中で、昼でも夕方でも夜でもなくて、朝だけがつらいのはどうしてなのか。まず最初に、この点にスポットをあてて考えてみましょう。

眠りのメカニズムや生活パターンを知ることも、大切なポイントです。熟睡する方法や気持ちよく目覚める方法も役立つでしょう。

「朝に弱い」本当の原因を見つけ出さなければ、本当の解決にはつながりません。

朝起きなければならない理由

朝起きられない人には、さまざまな原因が考えられます。ですが、うつ症状による不眠や「睡眠覚醒スケジュール障害」などの病的な睡眠障害でないかぎり、実は、朝起きるほどの理由がないという人が、ほとんどなのではないでしょうか。

ここでいったん「自分は何のために朝起きるのか」を。「会社があるから仕方ない」「朝起きるのが自然だから」人それぞれに理由があると思います。
もちろん、遅刻の常習者では会社での信用がなくなってしまいます。寝坊して待ち合わせの時間に遅れれば、困ったやつだと友だちにいわれるでしょう。
また、不規則な生活は体のバランスを崩し、快適な生活が送れなくなるのですから、朝起きることは大切です。しかし、自分自身が本当に朝起きたい理由があるかどうかということです。

子供のころを思い出してみてください。普段なら起こされてもなかなか起きないのに、遠足の日や自分が楽しみにしていた日の朝は、起こされる前から起きて出発の時間を待っていたという経験はありませんか。

大人も同じことです。海外旅行などに出かけたとき、夜中過ぎまで食べたり飲んだりしていても、目覚まし時計もセットしていないのに、翌朝早くに目が覚め、身じたくを整えたりするでしょう。だれも文句をいわないのに、さっさと起き出して地図やガイドブックを見ていませんでしたか。

自分自身にやりたいことや目的があれば、だれかに強制されることがなくても起きられるのです。たとえば、会社の受付の女性に恋をしたとします。
朝早く出社しないとその人に会えないとなれば、多少睡眠不足でもバッと起きられるのではないでしょうか。会社には別に行きたくないけど、仕方がないから行ってるだけ。趣味もないし、好きな人もいない。旅行に出かけても、ツアーで予定が組んであるから朝起きるけれど、別に行きたい場所があるわけじゃない…。

これでは、朝起きるのがつらくて当然です。こういう人たちは、自分の人生に、楽しいことを何も見出していないのではないでしょうか。

朝に弱い」は「させられる人生」に通じる

幼いころ、毎朝どのようにして起きていましたか。お母さんに起こしてもらう人、自分で目覚まし時計をかけて起きる人、目覚まし時計が鳴る前から目が覚めていた人、起こされても起きなくて、遅刻をしてはお母さんのせいにしていた人。

起き方にもいろいろありますが、この差が実は大きいのです。普通は、子供のころはだれかに起こしてもらっていても、自我が芽生えてくると自分の意思で起きるようになります。

遅刻をしたくないから、無理をしてでも起きるわけです。ところが、ずっと起こされてしぶしぶ起きていたような人は、起こされたから起きてあげるといった、「させられる人生」「してあげる人生」を送ってきたといえます。「もう時間よ、早く起きなさい」と声をかけられても、いつまでもふとんの中でぐずぐずし、「お願いだから起きてちょうだい。学枚に遅れちゃうわよ」といわれて、やっと起きる。

こういう人たちは、自分は寝ていたいのに、親がうるさいから起きているのに過ぎません。頼まれて起きているから、遅刻をしないですんでいたのです。

このことは、単に「起きる」話だけにとどまりません。親が高校に行けといったから行く。大学に入ってほしいといわれたから勉強する。何1つ自分の意思で決めずに生きてきたという人も少なくないのです。

同様に、自分ではやりたいことがわからないのだけれど、周りの友だちはみんな就職活動をしている。何となく、自分もふらふらしているわけにはいかないだろうと思い、とりあえず会社訪問をし、内定したところに入社する。これでは、いざ朝早く起きなければならないとなつても、自分の中で本当に「起きる」理由は見つかっていませんから、起きようというパワーが出なくても当然でしょう。

子供のころからずっと、起こされてやっと起きていた人は、自分で意思を持って起きるという訓練をしていません。いつもだれかが「お願いだから起きてちょうだい」といってくれていたからこそ、起きてこられたのです。

つまり、起きるための理由を自分で探す必要がありませんでした。ですから、大人になっても、起きる理由がないままなのです。極端にいえば、生きる理由がないのと同じことかもしれません。

自我が確立されていない人は「朝に弱い」

これまで「させられる人生」を送ってきた人には、自分で何かをしようという自我が確立されていない人が少なくありません。朝起きることは、だれもが楽にできることではないでしょう。

だれしもが、朝は眠くてつらいものです。しかし、多くの人は、遅刻をしたくない、今日は映画に行きたい、ダンスの練習がある、デートの約束をしているなど、それぞれの理由があるからこそ、えいっと起き上がります。こうして何年も、眠気と戦いながら、起きる訓練をしてきたのです。
一方、起こされ続けてきた人は、朝のつらさに変わりはないのですが、やりたいことがあるから、自分で自分をコントロールし、がまんをして起きるという経験を積んでいません。そのため、大人になっても、「起きてちょうだい」と頼まれなければ起きる理由が見出せず、「もっと寝ていたい」自分をおさえることができないのです。
そして、結局ふとんの中から抜け出せません。朝起きられないということは、自分では意識しないうちに、「させられる人生」を歩んでいることになります。「起きる」意思を持ち、自分で自分をコントロールできる自我を確立させることが大切です。