「朝が苦手」「朝がつらい」「朝は嫌い」について自己分析してみる

なぜ、朝が苦手なのだろうか?

現代は、長い人類の歴史の中で、ここまで「眠り」に関して苦労するのは、初めてのことかもしれません。皮肉にも、こちらでも紹介したように、昼夜の別のない社会、めまぐるしいスピードで過ぎる時間の中で、便利に快適になっていく社会環境とは反比例して、人間の体が悲鳴をあげつつあることの証でもあるのでしょう。

「心地よい目覚め」とは、独立して成り立つものではありません。快適に目覚めるためにはきちんと眠ることが必要であり、きちんと眠るためには心も体もリラックスしていなければならない。
このように、すべての要素がつながっています。眠りのリズムにしても、人間の体の中にあるサーカディアンリズムというリズムの中の一部に過ぎません。

排泄、ホルモン、血圧、体温などと同様に、睡眠と覚醒も体のバランスのリズムの1つです。したがって、体は健康だけれども寝起きが悪くて…という人はいません。

1つが変調をきたせば、低血圧や便秘、頭が重いなど、ほかの器官にも影響が出てきます。現代では、「朝に弱い」といっても、単なる寝不足や低血圧というだけではなく、ストレスからくるうつ症状による不眠、肥満による睡眠障害、勤務時間が不規則なための眠りのリズムの変調など、原因のわかりにくいものも数多くあります。

ですから、「朝に弱い」ということだけを取り上げても、何の解決にもなりません。1日の流れの中で、昼でも夕方でも夜でもなくて、朝だけがつらいのはどうしてなのか。まず最初に、この点にスポットをあてて考えてみましょう。

眠りのメカニズムや生活パターンを知ることも、大切なポイントです。熟睡する方法や気持ちよく目覚める方法も役立つでしょう。

「朝に弱い」本当の原因を見つけ出さなければ、本当の解決にはつながりません。

朝起きなければならない理由

朝起きられない人には、さまざまな原因が考えられます。ですが、うつ症状による不眠や「睡眠覚醒スケジュール障害」などの病的な睡眠障害でないかぎり、実は、朝起きるほどの理由がないという人が、ほとんどなのではないでしょうか。

ここでいったん「自分は何のために朝起きるのか」を。「会社があるから仕方ない」「朝起きるのが自然だから」人それぞれに理由があると思います。
もちろん、遅刻の常習者では会社での信用がなくなってしまいます。寝坊して待ち合わせの時間に遅れれば、困ったやつだと友だちにいわれるでしょう。
また、不規則な生活は体のバランスを崩し、快適な生活が送れなくなるのですから、朝起きることは大切です。しかし、自分自身が本当に朝起きたい理由があるかどうかということです。

子供のころを思い出してみてください。普段なら起こされてもなかなか起きないのに、遠足の日や自分が楽しみにしていた日の朝は、起こされる前から起きて出発の時間を待っていたという経験はありませんか。

大人も同じことです。海外旅行などに出かけたとき、夜中過ぎまで食べたり飲んだりしていても、目覚まし時計もセットしていないのに、翌朝早くに目が覚め、身じたくを整えたりするでしょう。だれも文句をいわないのに、さっさと起き出して地図やガイドブックを見ていませんでしたか。

自分自身にやりたいことや目的があれば、だれかに強制されることがなくても起きられるのです。たとえば、会社の受付の女性に恋をしたとします。
朝早く出社しないとその人に会えないとなれば、多少睡眠不足でもバッと起きられるのではないでしょうか。会社には別に行きたくないけど、仕方がないから行ってるだけ。趣味もないし、好きな人もいない。旅行に出かけても、ツアーで予定が組んであるから朝起きるけれど、別に行きたい場所があるわけじゃない…。

これでは、朝起きるのがつらくて当然です。こういう人たちは、自分の人生に、楽しいことを何も見出していないのではないでしょうか。

朝に弱い」は「させられる人生」に通じる

幼いころ、毎朝どのようにして起きていましたか。お母さんに起こしてもらう人、自分で目覚まし時計をかけて起きる人、目覚まし時計が鳴る前から目が覚めていた人、起こされても起きなくて、遅刻をしてはお母さんのせいにしていた人。

起き方にもいろいろありますが、この差が実は大きいのです。普通は、子供のころはだれかに起こしてもらっていても、自我が芽生えてくると自分の意思で起きるようになります。

遅刻をしたくないから、無理をしてでも起きるわけです。ところが、ずっと起こされてしぶしぶ起きていたような人は、起こされたから起きてあげるといった、「させられる人生」「してあげる人生」を送ってきたといえます。「もう時間よ、早く起きなさい」と声をかけられても、いつまでもふとんの中でぐずぐずし、「お願いだから起きてちょうだい。学枚に遅れちゃうわよ」といわれて、やっと起きる。

こういう人たちは、自分は寝ていたいのに、親がうるさいから起きているのに過ぎません。頼まれて起きているから、遅刻をしないですんでいたのです。

このことは、単に「起きる」話だけにとどまりません。親が高校に行けといったから行く。大学に入ってほしいといわれたから勉強する。何1つ自分の意思で決めずに生きてきたという人も少なくないのです。

同様に、自分ではやりたいことがわからないのだけれど、周りの友だちはみんな就職活動をしている。何となく、自分もふらふらしているわけにはいかないだろうと思い、とりあえず会社訪問をし、内定したところに入社する。これでは、いざ朝早く起きなければならないとなつても、自分の中で本当に「起きる」理由は見つかっていませんから、起きようというパワーが出なくても当然でしょう。

子供のころからずっと、起こされてやっと起きていた人は、自分で意思を持って起きるという訓練をしていません。いつもだれかが「お願いだから起きてちょうだい」といってくれていたからこそ、起きてこられたのです。

つまり、起きるための理由を自分で探す必要がありませんでした。ですから、大人になっても、起きる理由がないままなのです。極端にいえば、生きる理由がないのと同じことかもしれません。

自我が確立されていない人は「朝に弱い」

これまで「させられる人生」を送ってきた人には、自分で何かをしようという自我が確立されていない人が少なくありません。朝起きることは、だれもが楽にできることではないでしょう。

だれしもが、朝は眠くてつらいものです。しかし、多くの人は、遅刻をしたくない、今日は映画に行きたい、ダンスの練習がある、デートの約束をしているなど、それぞれの理由があるからこそ、えいっと起き上がります。こうして何年も、眠気と戦いながら、起きる訓練をしてきたのです。
一方、起こされ続けてきた人は、朝のつらさに変わりはないのですが、やりたいことがあるから、自分で自分をコントロールし、がまんをして起きるという経験を積んでいません。そのため、大人になっても、「起きてちょうだい」と頼まれなければ起きる理由が見出せず、「もっと寝ていたい」自分をおさえることができないのです。
そして、結局ふとんの中から抜け出せません。朝起きられないということは、自分では意識しないうちに、「させられる人生」を歩んでいることになります。「起きる」意思を持ち、自分で自分をコントロールできる自我を確立させることが大切です。

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